カテゴリー: # 暮らし # 産業 # 朝来市
いわつねぎ
岩津ネギ(2019ふるさと特派員撮影)
岩津ねぎは、2003年(平成15)に商標登録を取得し、現在は朝来市の特産品として市全域で栽培され、全国に出荷されるブランド野菜として売り出している。 岩津ねぎの由来は郷土史によると、「1803年(享和3)津村子つむらこ(朝来市岩津)にて産す」と記録されている。岩津地区は、生野いくの銀山に隣接しており、かつて銀山で働く労働者へ貴重な冬野菜を供給していた。1542年(天文11)から銀山の本格的な採鉱が始まり、その後、幕府の直轄地として運営。生野代官所では銀山労働者を定着させるために、支配下の農民に食料の増産と生鮮野菜の栽培を奨励した。時の代官所の係員が京都に出向いた際、九条ねぎの種子を持ち帰り、栽培させたのが岩津ねぎの始まりと伝えられている。 岩津ねぎは、九条ネギの改良種といわれ、根深ねぎと葉ねぎの兼用種であり、白部分から葉先部分まで食べられるのが特徴。葉色は濃緑で、厳しい寒さによって葉身部に粘質物ができる。耐寒性に強く肉質は柔軟。香りが高く、甘味もあり、冬の健康野菜、また、贈答用としても重宝されている。 食べ方としては鍋もの(すきやき、水炊き、ちり鍋)などの具、めん類・汁物・湯豆腐などの薬味、焼肉や焼きねぎ、天ぷらなど幅広く、バラエティに富んだ料理が楽しめる。
岩津ねぎは、2003年(平成15)に商標登録を取得し、現在は朝来市の特産品として市全域で栽培され、全国に出荷されるブランド野菜として売り出している。
岩津ねぎの由来は郷土史によると、「1803年(享和3)津村子(朝来市岩津)にて産す」と記録されている。岩津地区は、生野銀山に隣接しており、かつて銀山で働く労働者へ貴重な冬野菜を供給していた。1542年(天文11)から銀山の本格的な採鉱が始まり、その後、幕府の直轄地として運営。生野代官所では銀山労働者を定着させるために、支配下の農民に食料の増産と生鮮野菜の栽培を奨励した。時の代官所の係員が京都に出向いた際、九条ねぎの種子を持ち帰り、栽培させたのが岩津ねぎの始まりと伝えられている。
岩津ねぎは、九条ネギの改良種といわれ、根深ねぎと葉ねぎの兼用種であり、白部分から葉先部分まで食べられるのが特徴。葉色は濃緑で、厳しい寒さによって葉身部に粘質物ができる。耐寒性に強く肉質は柔軟。香りが高く、甘味もあり、冬の健康野菜、また、贈答用としても重宝されている。
食べ方としては鍋もの(すきやき、水炊き、ちり鍋)などの具、めん類・汁物・湯豆腐などの薬味、焼肉や焼きねぎ、天ぷらなど幅広く、バラエティに富んだ料理が楽しめる。