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 豊岡市但東町、出石町を生産地とする但馬ちりめんは、豊岡市但東町に隣接する丹後の峰山から、1804年(文化元)〜1818年(文政元)に移入されたのが始まりとされている。
 丹後地方との通婚によって、手織り技術が容易に伝習され、この地域の湿潤な気候風土も合い、農業の副業的存在として産地化された。
 大正期に手織り式から機械織りへ移行し、より大きく発展。従来の無地ちりめんから紋ちりめんに切りかえ、機械による柄物の製織に成功したことが今日の但馬ちりめん産地を形成するいしずえとなった。
 1962年(昭和37)には、兵庫県特産品指定を受けて織機の近代化が進められた。しかし、1973年(昭和48)の石油危機による不況乗り切り対策として、織機の打ち壊しなどを実施。生産の抑制が行われ、織機台数、生産数量は減少。1979年(昭和54)には最盛期の半分以下となった。
 現在は量よりも質を重視し、高級品の生産や新しい洋装部門への進出などに取り組んでいる。豊岡市但東町では新たな試みとして、近年、「絹ゆかた・シルク和紙」が注目を集めている。

所在地 豊岡市但東町・出石町
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