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たじまもりのみこと
今は昔、垂仁すいにん天皇の御代、天日槍命あめのひぼこのみことの子孫で古代豪族 三宅連みやけのむらじらの祖先にあたる田道間守は、天皇の命を受けて、常世国とこよのくにへ非時香果ときじくのかくのこのみを求めて旅に出た。非時香果とは、一年中実り、芳香を放つ果実の意味で、今の橘たちばなのことといわれている。 田道間守は、天皇の命を守り、唐、天竺てんじくをさまよい、ついに常世国に至り、非時香果と出会う。 そして、非時香果を捧ささげ持ち急ぎ帰国したが、既に10年の歳月が経っていた。 田道間守の身を案じつつ待っていた垂仁天皇は、彼が帰国する前年に崩御されていた。田道間守は、天皇に非時香果を渡せなかったことを嘆き悲しみ、御陵みささぎ(天皇の墓)に非時香果を捧げたまま息絶えてしまった。 忠節を尽くした田道間守の墓は、垂仁天皇陵の堀の中に浮かぶ小さな島にひっそりと祀られている。また、田道間守が持ち帰った非時香果は、わが国のお菓子の始まりとされ、田道間守はお菓子の神様(菓祖)として、故郷 豊岡市の中嶋神社に祀られている。
今は昔、垂仁天皇の御代、天日槍命の子孫で古代豪族 三宅連らの祖先にあたる田道間守は、天皇の命を受けて、常世国へ非時香果を求めて旅に出た。非時香果とは、一年中実り、芳香を放つ果実の意味で、今の橘のことといわれている。
田道間守は、天皇の命を守り、唐、天竺をさまよい、ついに常世国に至り、非時香果と出会う。
そして、非時香果を捧げ持ち急ぎ帰国したが、既に10年の歳月が経っていた。
田道間守の身を案じつつ待っていた垂仁天皇は、彼が帰国する前年に崩御されていた。田道間守は、天皇に非時香果を渡せなかったことを嘆き悲しみ、御陵(天皇の墓)に非時香果を捧げたまま息絶えてしまった。
忠節を尽くした田道間守の墓は、垂仁天皇陵の堀の中に浮かぶ小さな島にひっそりと祀られている。また、田道間守が持ち帰った非時香果は、わが国のお菓子の始まりとされ、田道間守はお菓子の神様(菓祖)として、故郷 豊岡市の中嶋神社に祀られている。