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《一覧表示:遺跡・史跡》
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- 気比の銅鐸
- 銅鐸は弥生時代の儀式や祭りの場で使われた祭器と考えられている遺物である。1912年(大正元)9月、気比村字溝谷(鷲崎)...
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- 中谷貝塚
- 大正時代に発見され、1986年(昭和61)の調査では、東西12.5mにわたる貝層が確認された。縄文時代中期〜後期まで断...
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- 雅成親王墓
- 1221年(承久3)「承久の乱」後、但馬国に雅成親王(後鳥羽上皇皇子)が流刑となり、豊岡市高屋に幽閉された。雅成親王の...
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- 但馬国分寺跡
- 741年(天平13)、聖武天皇は五穀豊穣、国家鎮護を祈るため、全国60あまりの国ごとに、巨大な国分寺、国分尼寺の建立を...
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- 鬼神谷窯跡
- 古墳時代中期以降、外来の技術のひとつとして須恵器がつくられた。1974年(昭和49)、豊岡市竹野町鬼神谷字宮の下で発見...
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- 見蔵岡遺跡 石棒関連出土品
- 見蔵岡遺跡からは、縄文時代から鎌倉時代にかけての多様な遺構や遺物がみつかっている。特に西日本で初めて石棒の製作過程が明...
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- 田多地経塚 出土遺物
- 1981年(昭和56)、当時の大学生が頂上部の古墳の断面に青銅の遺物を発見。古墳の墳丘を利用した経塚(平安時代)の調査...
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- 別宮家野遺跡
- 東鉢伏高原の標高693mにある県下でも古い縄文時代早期の遺跡。炉跡を中心とした平地式住居跡や貯蔵穴の他、特殊菱形文や山...
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- 巡見使塚
- 新温泉町用土にある江戸時代の巡見使・坂尾監物の塚。徳川将軍家治の頃、巡見使・坂尾監物が用土で倒れ、この地に葬られたもの...
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- 対田の一里塚
- 一里塚は旅人の里程の目安とされ、また休息所ともなったが、早く廃れた。対田の一里塚は、土と石で基壇を築き(4m四方)、そ...