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おきの ただお
沖野忠雄顕彰碑・出石神社(2020協会撮影)
治水港湾に尽力した内務省技師。豊岡藩士沖野春水しゅんすいの子として、豊岡市大磯おおぞに生まれた。1870年(明治3)に藩の貢進生こうしんせいとして大学南校(東大の前身)に入り、物理学修得のためフランスに留学。土木建築を学び、帰国後は内務省の土木技師として、生涯を治水工事・港湾の開拓に捧げた。日本の治水港湾工事の始祖といわれ、1918年(大正7)に内務省を退官するまで、河川改修工事に彼が関わらなかったものはないとされる。特に淀川の改修工事と大阪築港事業の功績が讃えられ、淀川河川公園には銅像が建立されている。
治水港湾に尽力した内務省技師。豊岡藩士沖野春水の子として、豊岡市大磯に生まれた。1870年(明治3)に藩の貢進生として大学南校(東大の前身)に入り、物理学修得のためフランスに留学。土木建築を学び、帰国後は内務省の土木技師として、生涯を治水工事・港湾の開拓に捧げた。日本の治水港湾工事の始祖といわれ、1918年(大正7)に内務省を退官するまで、河川改修工事に彼が関わらなかったものはないとされる。特に淀川の改修工事と大阪築港事業の功績が讃えられ、淀川河川公園には銅像が建立されている。