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しらたき いくのすけ
白滝幾之助肖像(朝来市提供)
白滝幾之助作品「稽古」(朝来市提供)
1868年(明治元)、日本初の官営鉱山となった生野鉱山には、国内外から有能な人物が集められた。人や物の交流があり、最先端の文化が持ち込まれた鉱山町からは、文化人も巣立っていった。
和田わだ三造さんぞう・青山あおやま熊治くまじとともに、朝来市生野町出身画家の三巨匠と称される洋画家。上京して東京美術学校西洋画科に学び、白馬会や文展で活躍した。後に、帝展の審査員を務め、戦後は日展を舞台に活動を続け、日本美術恩賜おんし賞を受けた。代表作として「稽古」「帽子の婦人」などが知られている。
1868年(明治元)、日本初の官営鉱山となった生野鉱山には、国内外から有能な人物が集められた。人や物の交流があり、最先端の文化が持ち込まれた鉱山町からは、文化人も巣立っていった。
和田三造・青山熊治とともに、朝来市生野町出身画家の三巨匠と称される洋画家。上京して東京美術学校西洋画科に学び、白馬会や文展で活躍した。後に、帝展の審査員を務め、戦後は日展を舞台に活動を続け、日本美術恩賜賞を受けた。代表作として「稽古」「帽子の婦人」などが知られている。