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おだいあがたじんじゃ
小田井縣神社(2020協会撮影)
小田井縣神社鳥居(2020協会撮影)
祭神は国作大己貴命くにつくりおおなむちのみこと。鎌倉時代の「但馬国太田文おおたぶみ」には、小田井社々領31町3反80分、神供田25町1反320分とあり、当時は神仏習合で社家4、社僧(金剛、妙楽、正法、三坂)が祭事をとり行っていたとされている。しかし、戦国期、羽柴秀吉による但馬攻めの際、戦火に焼かれ、多くの社領・神供田を没収され、一時衰退した。17〜18世紀に社殿や神殿を復興、昭和初期の円山川まるやまがわ大改修工事で現在の地(権現の森)に移る。 1873年(明治6)まで名神大社海神社と重浪神社を併祀しており、「小田井大社」と呼ばれていた。
祭神は国作大己貴命。鎌倉時代の「但馬国太田文」には、小田井社々領31町3反80分、神供田25町1反320分とあり、当時は神仏習合で社家4、社僧(金剛、妙楽、正法、三坂)が祭事をとり行っていたとされている。しかし、戦国期、羽柴秀吉による但馬攻めの際、戦火に焼かれ、多くの社領・神供田を没収され、一時衰退した。17〜18世紀に社殿や神殿を復興、昭和初期の円山川大改修工事で現在の地(権現の森)に移る。
1873年(明治6)まで名神大社海神社と重浪神社を併祀しており、「小田井大社」と呼ばれていた。