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しんどうけじゅうたく(さなかせんねんや)
進藤家住宅・佐中の千年家(2019ふるさと特派員撮影)
明治時代の金融・産業界の中枢的存在であった原六郎はらろくろうの生家。進藤家は1375~1380年(天授年間)頃、佐中に居住したといわれている。 主屋は、東西を棟とした入母屋式茅葺2階建てで、その西側及び東側に建てられた桟瓦葺、切妻屋根で平屋、もしくは2階建ての建物が付属する。 建設年代の詳細は不明だが、進藤家が大地主となるのが江戸時代中期であること、また、進藤家屋敷の北側には元々進藤家の仏間(菩提所)があり、その場所に進藤家の菩提寺として現在の深高寺が1711年(正徳元)に建てられていることなどから、これらのことを重ね合わせて1600年代の建物であると考えられている。 「佐中千年家さなかせんねんや」の名前は、テレビの取材で訪れたタレント・西條遊児が呼称したことに由来する。
明治時代の金融・産業界の中枢的存在であった原六郎の生家。進藤家は1375~1380年(天授年間)頃、佐中に居住したといわれている。
主屋は、東西を棟とした入母屋式茅葺2階建てで、その西側及び東側に建てられた桟瓦葺、切妻屋根で平屋、もしくは2階建ての建物が付属する。
建設年代の詳細は不明だが、進藤家が大地主となるのが江戸時代中期であること、また、進藤家屋敷の北側には元々進藤家の仏間(菩提所)があり、その場所に進藤家の菩提寺として現在の深高寺が1711年(正徳元)に建てられていることなどから、これらのことを重ね合わせて1600年代の建物であると考えられている。
「佐中千年家」の名前は、テレビの取材で訪れたタレント・西條遊児が呼称したことに由来する。