カテゴリー: # 暮らし # 伝説・昔話 # 豊岡市 # 日高エリア
ばばやき
松岡御柱まつり・ばば焼き(2014ふるさと特派員撮影)
1221年(承久3)、雅成まさなり親王は幕府の手に捕らえられ、但馬の室むろの朝倉(豊岡市高屋たかや)に移された。親王様には、幸姫というお妃がいたが、但馬に連れてくることができなかった。幸姫は親王様と別れた後、子どもができていることがわかり、すぐにでも親王様に知らせたいと思い、但馬へ侍女を連れて出向いた。 途中、幸姫の命令で侍女が老婆に高屋までの距離を聞いたところ、「高屋なら、二日かかる府中、七日かかる納屋なや、九日かかる九日市、十日かかる豊岡があって、その先に人をとる一日市がありますで」と言い、去っていった。 幸姫は、落ち込みながらも明るい声で「死後必ず、南風となって高屋へ達しましょう」と川へ身を投げたが、侍女の叫び声に人々が駆けつけ、助けられた。 その後、子どもが生まれ幸姫はすぐに息を引き取った。村人は侍女から老婆の話を聞いた。その夜、南風が強くなり大雨が降り、円山川は大水に。侍女は人々が大水に気をとられている隙に川へ身を投げた。それから大雨は降り続け、洪水になった。人々は、幸姫様のたたりと、嘘をついた老婆を引きずり出し、火あぶりにして焼き殺し、そして幸姫様の御霊を産土神とし、十二所じゅうにしょ神社に祀った。4月14日には、お宮の前で、わらでつくった老婆の人形を焼いて幸姫様の霊を慰める行事が続いている。
1221年(承久3)、雅成親王は幕府の手に捕らえられ、但馬の室の朝倉(豊岡市高屋)に移された。親王様には、幸姫というお妃がいたが、但馬に連れてくることができなかった。幸姫は親王様と別れた後、子どもができていることがわかり、すぐにでも親王様に知らせたいと思い、但馬へ侍女を連れて出向いた。
途中、幸姫の命令で侍女が老婆に高屋までの距離を聞いたところ、「高屋なら、二日かかる府中、七日かかる納屋、九日かかる九日市、十日かかる豊岡があって、その先に人をとる一日市がありますで」と言い、去っていった。
幸姫は、落ち込みながらも明るい声で「死後必ず、南風となって高屋へ達しましょう」と川へ身を投げたが、侍女の叫び声に人々が駆けつけ、助けられた。
その後、子どもが生まれ幸姫はすぐに息を引き取った。村人は侍女から老婆の話を聞いた。その夜、南風が強くなり大雨が降り、円山川は大水に。侍女は人々が大水に気をとられている隙に川へ身を投げた。それから大雨は降り続け、洪水になった。人々は、幸姫様のたたりと、嘘をついた老婆を引きずり出し、火あぶりにして焼き殺し、そして幸姫様の御霊を産土神とし、十二所神社に祀った。4月14日には、お宮の前で、わらでつくった老婆の人形を焼いて幸姫様の霊を慰める行事が続いている。