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 昔、八鹿ようかから西へ4km行ったところに何百年もある大きな柳の木が立っていた。柳は大変大きく、高く、遠くからもみえるので、高柳たかやなぎと呼ばれるようになり、土地のことも高柳と言われるようになった。
 高柳には、おりゅうと言う娘が住んでおり、おりゅうが髪をすくと、風のない日でも柳が揺れたりした。
 その頃、京都では帝の気分がすぐれず、「たくさんの仏様を納めた大きなお寺を建てなさい」と言う仏様のお告げで、三十三間堂と言う大きなお寺を建てることになった。その棟木に、この柳の木に勝る木はなく、切って都へ運ぶことになった。
 しかし、柳は1日で少ししか切ることができなかったうえ、切り口が見当たらない日が続いた。夜には2人が見張りをすることになったが、ハッと起きた時には切り口がふさがっていることが続いた。
 ある夜、見張りが「寝ている間に木の精が、柳の傷口をふさいでしまう。そのためには切り口から出た木くずを焼いてしまうこと」と言う夢をみた。その日から、木くずを焼くようになり切り口は広がっていった。
 その頃、おりゅうは日々顔色が悪くなり、ついに柳の切り倒された同日時刻に息を引き取った。
 そして、切り倒した柳を都へ運ぼうとするが、柳はびくともしない。すると、おりゅうの子供が柳によじ登ると、音もなく動き始めた。こうして、高柳から京都まで運ばれたが、いつもおりゅうの子供が柳にのらないと動かなかったそうである。

所在地 養父市八鹿町高柳
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