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 柴の遠坂とおざか(阪)峠の登り口に小さな祠がある。その中に「地がため地蔵」と呼ばれる小さなお地蔵さんが祀ってあったそうな。
 昔、但馬地方は一面の泥海で、人々の生活は苦しく大変難儀をしていた。そこで、粟鹿明神あわがみょうじんをはじめ但馬五社の神々が集まり、力を合わせて瀬戸の津居山ついやまを切りひらき、その泥水を日本海に流し出し、但馬の地をつくられた。
 しかし、どうしても乾ききらない但馬の土地をみて、もっと乾いた住みよい土地にしようと思われた神々は、「見国岳」ともいわれる粟鹿山の頂上に集まり、乾ききらない但馬の土地を眺め、但馬全域にわたって大きな梵字ぼんじを書き、その要所要所の66カ所に「地がため地蔵」としてお地蔵さんを祀った。
 その一番手前に、この柴の地がため地蔵が祀られている。そのおかげで但馬の土地は乾き、今のように大きな但馬盆地を中心にした、豊かな但馬の国が生まれたそうである。この柴のお地蔵さんは、但馬地蔵巡礼66カ所の40番目の札所になっている。そのご詠歌に「柴原をわけゆく我ものちの世は頼む地蔵の姿おがむよ」とうたわれている。

所在地 朝来市山東町柴
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