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あかぶちじんじゃ
赤淵神社拝殿(2020協会撮影)
赤淵神社楼門(2020協会撮影)
赤淵神社鳥居(2020協会撮影)
祭神は但馬・日下部くさかべ氏の祖先神である赤淵足尼神あかぶちすくねのかみ・大海龍王神だいかいりゅうおうのかみ・表米宿禰神ひょうまいすくねのかみの3柱を祀る。本殿は規模の大きな三間社流造さんけんしゃながれづくりの杮こけら葺ぶきで、古い様式を残している。建立年代ははっきりとしないが、建築様式・手法から室町時代前期のものと推測されている。但馬に多い笈形式おいがたしき妻飾りの先駆的建築物である。向拝こうはいに修理の跡がみられるが、ほとんど当時のまま。1992年(平成4)には文化庁の補助により、本殿と履屋おおいやの大改修が完了した。 山名四天王といわれた室町から戦国期の武将八木氏代々の崇敬は篤く、本殿・門・庇ひさしなどは1648年(正保5)に旗本となった八木宗直むねなおの子、八木勘十郎宗職が大願主となって再建し、その後、何度も修繕が行われている。四脚門様式で、材質は欅けやき。 また、お堂には、赤淵神社の別当寺であった神淵しんねん寺の本尊・阿弥陀如来坐像が安置されている。古風でありながら写実的な新しさがあり、耳の形から鎌倉時代の作といわれている。なた彫りと言われる荒々しいノミの跡を残した、毘沙門天立像も神淵寺から移されたものである。
祭神は但馬・日下部氏の祖先神である赤淵足尼神・大海龍王神・表米宿禰神の3柱を祀る。本殿は規模の大きな三間社流造の杮葺きで、古い様式を残している。建立年代ははっきりとしないが、建築様式・手法から室町時代前期のものと推測されている。但馬に多い笈形式妻飾りの先駆的建築物である。向拝に修理の跡がみられるが、ほとんど当時のまま。1992年(平成4)には文化庁の補助により、本殿と履屋の大改修が完了した。
山名四天王といわれた室町から戦国期の武将八木氏代々の崇敬は篤く、本殿・門・庇などは1648年(正保5)に旗本となった八木宗直の子、八木勘十郎宗職が大願主となって再建し、その後、何度も修繕が行われている。四脚門様式で、材質は欅。
また、お堂には、赤淵神社の別当寺であった神淵寺の本尊・阿弥陀如来坐像が安置されている。古風でありながら写実的な新しさがあり、耳の形から鎌倉時代の作といわれている。なた彫りと言われる荒々しいノミの跡を残した、毘沙門天立像も神淵寺から移されたものである。