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神子畑選鉱場跡(2015ふるさと特派員撮影)

神子畑選鉱場跡シックナー(2018ふるさと特派員撮影)

鉱山と道の芸術祭 “神子畑エリア”(2019ふるさと特派員撮影)

  800年頃から銀と銅を産出する鉱山として開拓され、一時は幕府や明治政府、皇室財産として宮内庁の管理下に置かれたこともあったが、鉱石の産出量が不安定だったため、繁栄と衰退を繰り返すこととなった。
 1878年(明治11)の鉱脈再発見により、加盛山と呼ばれ生野鉱山の支山として稼働していたが、1896年(明治29)に三菱合資会社へ払い下げられ、1917年(大正6)には採鉱の不況により閉山した。1919年(大正8)からは、6km離れた明延あけのべ鉱山で採鉱された鉱石を選鉱する大規模な「機械選鉱場」として生まれ変わり、操業を開始。昭和に入ってから数度の拡張工事を経て、最盛期には「東洋一」と謳われた選鉱施設となり、明延鉱山が閉山する1987年(昭和62)まで栄えた。
 選鉱場跡は2003年(平成15)の調査で、内部の階層延べ22階、幅110m、斜距離165m、高低差約75mという規模が確認された。初期の建築部分と考えらえる木造部分と、鉱石などを入れる容器として鉄筋コンクリートでつくられた部分、鉄骨造部分がある。2004年(平成16)に取り壊され、現在はコンクリートの基部やシックナー(液体中に混じる個体粒子を泥状物として分離する装置)の一部などが残るのみとなった。
 現在は公園として整備され、生野鉱山の開発に貢献したフランス人技師・ムーセ旧居も残る。明治初期の外国人住居として数少ない建物で、生野と神子畑の鉱山の歴史をつなぐ貴重な建物である。

所在地 朝来市佐嚢
文化財指定 日本遺産構成文化財
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