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明延鉱山

中瀬鉱山

生野鉱山

神子畑鉱山

~ 資源大国日本の記憶をたどる73kmのわだち

 明延あけのべ鉱山(養父市)、神子畑みこばた鉱山(朝来市)、生野いくの鉱山(朝来市)及び中瀬なかぜ鉱山(養父市)は、日本の近代化を支えた鉱山である。これらの鉱山群は、鉱石輸送の専用道路など「3つの道」によりつながれ、鉱石や人、物資が運ばれていた。
 第1の道は、姫路の飾磨しかま港から生野へ石炭などの鉱山用資材を運んだ「生野鉱山寮馬車道」(銀の馬車道)。フランス人技師の指導のもと、1876年(明治9)に生野鉱山~飾磨港(現姫路港)の間、約49kmを結ぶ馬車専用道路としてつくられた。1878年(明治11)には飾磨港から津居山港までを結ぶ県道となり、1895年(明治28)には鉄道にその役割を譲った。
 第2の道は、1885年(明治18)に完成した神子畑から生野へ「銀鉱石」を運んだ、鋳鉄橋のある馬車の鉄道。神子畑鋳鉄橋羽渕鋳鉄橋はこの時につくられた橋である。
 第3の道は、明延から神子畑に「錫鉱石」を運んだ明神電車(一円電車)である。明延の鉱石は神子畑選鉱場で選別され、錫は生野製錬所に運ばれた。
 現在、明延、神子畑、生野及び中瀬の鉱山エリアは「鉱石の道」と名付けられ、貴重な産業遺産が保存されている。2017年(平成29)4月には、朝来市から姫路市飾磨港までを結ぶ「銀の馬車道」と南但馬の鉱山群をつなぐ「鉱石の道」をストーリーとした『播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~』が、日本遺産に認定された。日本の近代化を支えたこの道は、鉱石や物資運搬だけでなく、人、文化、歴史を育み、生み出された独自の景観、地域の営みは現在まで継承されている。