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《一覧表示:古墳・遺跡》
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- 中谷貝塚
- 大正時代に発見され、1986年(昭和61)の調査では、東西12.5mにわたる貝層が確認された。縄文時代中期〜後期まで断...
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- 雅成親王墓
- 1221年(承久3)「承久の乱」後、但馬国に雅成親王(後鳥羽上皇皇子)が流刑となり、豊岡市高屋に幽閉された。雅成親王の...
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- 但馬国分寺跡
- 741年(天平13)、聖武天皇は五穀豊穣、国家鎮護を祈るため、全国60あまりの国ごとに、巨大な国分寺、国分尼寺の建立を...
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- 鬼神谷窯跡
- 古墳時代中期以降、外来の技術のひとつとして須恵器がつくられた。1974年(昭和49)、豊岡市竹野町鬼神谷字宮の下で発見...
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- 見蔵岡遺跡 石棒関連出土品
- 見蔵岡遺跡からは、縄文時代から鎌倉時代にかけての多様な遺構や遺物がみつかっている。特に西日本で初めて石棒の製作過程が明...
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- 田多地経塚 出土遺物
- 1981年(昭和56)、当時の大学生が頂上部の古墳の断面に青銅の遺物を発見。古墳の墳丘を利用した経塚(平安時代)の調査...
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- 別宮家野遺跡
- 東鉢伏高原の標高693mにある県下でも古い縄文時代早期の遺跡。炉跡を中心とした平地式住居跡や貯蔵穴の他、特殊菱形文や山...
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- 巡見使塚
- 新温泉町用土にある江戸時代の巡見使・坂尾監物の塚。徳川将軍家治の頃、巡見使・坂尾監物が用土で倒れ、この地に葬られたもの...
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- 対田の一里塚
- 一里塚は旅人の里程の目安とされ、また休息所ともなったが、早く廃れた。対田の一里塚は、土と石で基壇を築き(4m四方)、そ...
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- 山名氏城跡
- 山名氏は清和源氏の出で、室町時代、足利尊氏に従った山名時氏が、その功績によって山陰地方の守護大名となった。山名一族は全...
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- 豊岡城跡
- 標高約49mの神武山にある。豊岡城の前身は「木崎城(城崎城)」といい、室町時代に築城されている。その後、1580年(天...
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- 三開山城跡
- 豊岡盆地中央部東縁の三開山(201.6m)にある。三開山は「但馬富士」とも呼ばれ、眺望のよい立地で、豊岡盆地を制する戦...
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- 山名氏守護所跡
- 但馬守護・山名氏は、南北朝末期から15世紀まで但馬国の守護所を豊岡市九日市に置いた。東側の円山川を外濠に見立て、西側の...
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- 芦屋(諸寄)城跡
- 室町〜戦国時代の武将、塩冶氏が居城にしていた標高175mの山城。別名「亀ケ城」と呼ばれる。日本海を眼前に断崖絶壁に囲ま...
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- 八木城跡
- 標高330mの位置にあり、日本屈指の規模を誇る竹田城や山名氏の有子山城と並ぶ、但馬の代表的な山城。八木氏が戦国時代に使...
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- 竹田城跡
- 「天空の城」として雲海に浮かぶ姿が全国的に知られる竹田城跡は、南北約400m、東西約100mに及ぶ総石垣つくりの城跡で...