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《一覧表示:豊岡エリア》
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- 豊岡復興建築群
- 旧豊岡市の中心である「大開通り」や「宵田通り」には、1925年(大正14)5月の北但大震災に倒壊、もしくは焼失により建...
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- 豊岡市交流センター「豊岡稽古堂」豊岡市議会議場
- 1927年(昭和2)の建設。3階は後年に増築されている。旧豊岡町役場、旧豊岡市役所本庁舎として使用された。中央に車寄せ...
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- 豊岡カトリック教会
- 1922年(大正11)に鉱山王と呼ばれた中江種造氏の別荘として建てられた。彼の死後、1950年(昭和25)に市制施行の...
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- 達徳会館
- 豊岡尋常中学校は、姫路尋常中学(現県立姫路西高等学校)に次いで兵庫県下で2番目に古い中学校として、神戸尋常中学校(現神...
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- 玄武洞
- 自然がつくり出した芸術ともいうべき、見事な柱上の節理(岩石の割れ目)で知られる。玄武洞公園は、全部で5つの洞から成り、...
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- 豊岡海域公園
- 御待岬の地先海面7.8haの海域。柱状節理のある溶結凝灰岩によって構成された海食崖が発達して、海中まで及んでいる。対馬...
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- 畑上の大トチノキ
- 豊岡市畑上にある「畑上の大トチノキ」は国指定天然記念物の古木。樹齢は600年ともいわれ、樹高30m、幹周り7.2m。ト...
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- 絹巻神社の暖地性原生林
- 但馬の大河円山川の河口が急に狭められている場所がある。そこに突出したような緑の原生林を橋から眺められる。ここが絹巻神社...
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- 白藤神社の大モミ
- 豊岡市の市街地から西方、吉井に鎮座する白藤神社の石段を登りつめた左手にある。モミは、マツ科モミ属の常緑高木である。「白...
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- 法花寺万歳
- 「万歳」とは、正月に家々の座敷や門前で祝いを述べる祝福芸のこと。今日の漫才の起源といわれる。法花寺の万歳は江戸時代後期...
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- 御田植祭
- 田植えが始まる前に、その年の豊作を祈願する祭り。佐野・上佐野・納屋の3地区の氏神として鎮座する雷神社で、毎年奉納される...
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- 柳まつり
- 豊岡の地場産業「杞柳・かばん」の守護神として祀られる柳の宮の夏の例祭。初日は柳の宮の例大祭から始まり、子どもたちが御輿...
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- 豊岡藩京極家2代目当主 京極 高住
- 豊岡京極家2代目の当主。連歌・俳諧で「文学大名」として著名。神武山「文学の小道」に句碑がある。丹後田辺(京都府舞鶴市)...
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- 大石内蔵助の妻 理玖
- 赤穂浪士の討ち入りで知られている大石内蔵助の妻。豊岡藩京極家の筆頭家老・石束源五兵衛毎公の長女として生まれた。夫の切腹...
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- 発明家 堀田 瑞松
- 明治の彫刻家、発明家。現在の豊岡市城南町の刀の鞘の塗師の家に生まれ、22歳で京都に出て、鉄筆一刀彫の名手となる。紫檀の...
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- 鉱山王 中江 種造
- 明治の鉱山王。現在の豊岡市京町の武家屋敷に生まれた。13歳の時、豊岡藩士・中江晨吉の養子になる。貨幣司(現在の造幣局)...
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- 東京大学総理(長) 浜尾 新
- 東京大学の発展に尽力した教育行政家。豊岡藩江戸詰めの下級武士の子として生まれた。幼くして父を失い、豊岡藩へ出仕しながら...
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- 治水港湾の始祖・内務省技師 沖野 忠雄
- 治水港湾に尽力した内務省技師。豊岡藩士沖野春水の子として、豊岡市大磯に生まれた。1870年(明治3)に藩の貢進生として...
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- 日本近代眼科の父 河本 重次郎
- 日本近代眼科に貢献した医師。豊岡に生まれ、13歳の時に豊岡出身の猪子止か之助、和田垣謙三とともに、郷土の先輩の吉村寅太...
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- 砂防の神様 赤木 正雄
- 日本の治水と砂防に一生を捧げた技術者、政治家。豊岡市引野の赤木家に生まれた。高校生の時、校長先生の話に感銘を受け、砂防...